淡交の意味を考えてみました

裏千家関連の本や雑誌によく登場する言葉「淡交」。

家にある、お茶の本をみていた夫が、

「「淡交」ってどう読むの?」

と聞いてきたので、
「たんこう」って読むよと話しました。

「初めて聞いた言葉だね」というので、

「その言葉の意味は。。」と言おうとしたとき、詳しく意味を知らないことに気がつきました。

名前のように受け止めていたので、意味まで追求したことはなかったのですが、夫への説明するこの機会に考えてみました。「淡交」が出てくるのは以下の2つです。

  • 「君子之交淡若水」荘子著
  • 四字熟語「交淡如水」

自分としては、ちょっと納得できる意味づけができたと思ったので、それを書きます。

「君子之交淡若水」荘子

裏千家関連の社団法人には「淡交」がついており、出版社にも「淡交」という名がついています。「淡交」をます検索すると出てくるのが、下記です

「君子之交淡若水」

徳のある人(君子)のつきあいはさっぱりとしていて、水の様だ。

「交わりは淡きこと水の様に」で「さっぱりとした付き合い」

と書いてありました。でも、前後の文章からこの部分だけ抜き取って本来の「淡交」の意味考えることはできないし、難しい。。

それで、こんな四字熟語も見つけました。

四字熟語「交淡如水」

この熟語の読みと意味は下記です。

「交淡如水(こうたんじょすい)」

徳のある人のつきあいは淡白だが心がこもっている

この意味を読んで、以前ゼミで、先生が茶道について話しをしていたことを思い出しました。

「お茶って、さっぱりしたものだと思うんだよね。」

です。当時聞いた時には、ピンとこなかったですが、このことが淡交ってことかな?って思い出しました。

でも、そもそも「さっぱりしている」って何だろう?

「さっぱり」についてちょっと考えて見ました。この反対ことばは「べったり」。

二つのちがいって、

  • さっぱり=淡々としている。こだわりが少ない。起伏がすくない
  • べったり=情熱的。粘り強い。起伏が多い

という感じですかね。

「べったり」の中にある、情熱的というのは、自分のこだわりを諦めないで突き進んでいく粘り強さ。それは、自分によって周りをどう変えるか。ということのような気がします。

「さっぱり」の中にある、淡々としているのは、周りの状況をみながら自分のことをやる。ということなのかなと思います。

お茶はさっぱりとしている。

それは、

自分のこだわりを無くし、自分の考えを相手に押し付けない。自らが実行する。

そして、


そういう同士が交わると、さっぱりとした付き合い。「淡交」になるっていうことかな。

お稽古が再開されたときに、これであっているか、先生に答え合わせをお願いしたいと思います。







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