その道に入らんと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ
これは利休道歌の一番最初に出ている歌です。その道とは、もちろん茶道の事を言っています。
「その道に入らんと思ふ心こそ」とは、茶道の道に入ろうと思う心があれば。これをやろうと決めること。その決心により自ら学ぶ姿勢になります。それが自分の師匠となり、上達する。ということだとおもいます。
この心がけは、茶道に限定したことでないと思いました。習い事の上達だけでなく、自分の目標や願望も達成する秘訣ではないでしょうか。
やりたいことを成功させる、様々なことにも応用できる歌だと思います。
上達、願望成就に必要なのは、まず、決心することです。
願望成就を神さまにお願いする
以前に行った京都の鈴虫寺。願いを叶えてくれるお地蔵さんで有名です。15年位前に訪れたんですが、当時でも全国から願望成就を希望して山門に行列ができていました。
私は、スピリチュアルなことはあまり信じませんが、神社やお寺で神様にはお参りをします。
80段ある山門に続く階段でみんな並んでまっていました。当時私は、人間関係で叶えたい願い事を持っていて、それをお願いしようと思っていました。そのお寺では、お地蔵さんにお願いする願望にもルールがありました。
1)願い事は一つだけ
2)具体的であること。ゆめ物語ではないこと
でした。
順番待ちの間、自分が持っている何個かの候補からその時一番叶って欲しい願い事をひとつだけ選び、決めました。
願い事を決めたあとも、引き続き順番を待っていたんですが、ふと、
「一個に決めたからもう叶うんじゃないかな。」
と思ってお参りを止めて、行列から外れました。
お地蔵さんにお参りに行かなくても、心の中が決まった、決心がついた。叶う。と思ったのを覚えています。なぜそう思ったのかは覚えていません。
そのお寺にで願い事が叶うのは、お地蔵さんが叶えてくれる事と、自分が決めたことにより自分の思う方へ向かっていった。結果的に望みが叶た。という人もいるのではないでしょうか。
願い事をひとつだけ決めて、それを具体的に思い描くこと決心することができれば、願いが叶うということだったんだと思いました。それはお地蔵さんにお願いしたから、絶対に叶うっ、て信じる力が強くなった事でより強力な力を発揮することもあるのかもしれません。
これは、私は、自分の努力、自分の意志の強さとして考えた方が、自分のためになるんじゃないかなと思います。
なんでもかんでも神様や何か大きなものを頼ってしまっていては、調子がいい時には問題ないですが、調子悪くなった時には、依存してしまったりすることがありそうです。なので、私は調子がいい時でもなるべく頼らないようにしたいです。そのため自分の決心を信じるようにしています。
この時の願い事は、叶いませんでした。それは、列を途中で外れてしまったから?ではなく、単純にその願い事を叶えるための行動が足りなかったのだと思っています。
心を決めること + 行動 = 願い事が叶う
利休道歌にもどります。
その道に入らんと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ
いままで書いてきたのは、「その道に入らんと思ふ心こそ」の部分、心を決める、決心の部分です。では、下の句「我が身ながらの師匠なりけれ」はどうでしょうか?
自分の決心が自分を導く師匠になる。と私は読みました。師匠が導いてくれます。しかし、師匠であっても、導くだけです。代わりに何か行動してくれはしません。習い事の上達や願望を叶えるのに必要なのは、自らの行動です。師匠がいくら導いてくれても、その場に立って考えているだけでは、なにも変わりません。
下の句は、「実行し、道を歩いて上達を目指す」という意味と思います。
決心と実行により、願望を叶える。それを示している歌なんだと思いました。
コメントを残す