茶名を使う時、使わなくなる時

お茶のお稽古を続けていて、おおきな目標になるのが、茶名(ちゃめい)の取得です。
茶名とは、家元から一字をもらい自分の名前と組み合わせて、お茶をするときに使う名前です。

これ、なんのためなんだろうと、長年思っていました。その答えのひとつが先日友人と話していてわかった気がします

それは、

茶名を使っているときは、茶道を極めるための人格になる

ということです。芸をしているときの芸名。俳句を詠むときの俳号、和歌を詠む時の雅号。これらの名は、その世界に気持ちを入れるために、本来の実生活の人格以外に、別の人格を作っているのだと考えました。今回は、本名とは別の名前を使うことについて書きます。

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  • 茶名と俳号
  • 茶名を使う時
  • 茶名を使わなくなる時

茶名と俳号

本名とは別の名前、茶名(ちゃめい)、俳号(はいごう)、とはなんでしょうか?

茶名とは、

茶の湯で、極意を皆伝された茶人に付ける名前。村田珠光の世嗣よつぎ村田宗珠が大徳寺の名禅から「宗」の一字をもらって付けて以来、家元から指南を許されると「宗」の字を上に付ける

コトバンクより

俳号とは、

俳号(はいごう)あるいは俳名(はいめい、はいみょう)は、俳諧あるいは後の俳句を作る際に用いる雅号のことである。

wikipediaより

茶名は、家元からいただくものです。俳号は自分でつけたり、先生や友人からつけてもらったりします。なぜ、茶道、俳句の活動をするときに実生活と別の名前が必要なのでしょうか?私の考えた別の名前の役割は、

活動を行うため、振る舞いを変えるスイッチの役割

です。
本名を聞くと出身地や年齢、性別、性格など名前の持ち主の実生活を想像してしまいます。
茶名、俳号をつけることで、実生活とは離して、活動をするためのスイッチの役割なんだと考えました。

茶名を使っているときは、茶道に邁進しようという気持ちになります。その気持ちにフォーカスされれば、それに沿うように行動も変わってきます。例えば、実生活では、散らかっているのも気にならず、ダラダラと過ごしがち。でも茶道をするときは、ちょっとした埃や物の位置が気になる程、美しく整えた茶室でキビキビと動ける。まるで違う人のように振る舞うスイッチが入ります。

俳号も、自分の中にある表に出したい部分にフォーカスし、名前をつけます。先生や生徒など他人からつけてもらう場合もあります。その場合でも、その人の魅力から名付けられるでしょう。自分の魅力や表現したいことを俳句で表に出す創作のスイッチが入ります。

本名と違う名前で活動している人といえば、芸能人の方がいます。芸名はどうでしょうか。

芸名を使っているときは、その芸を極めたいという気持ちになります。以前テレビの番組で女性アイドルのインタビューをみました。新曲の歌い方かなにかをプロデューサーの人と話をしているときに、「これは、〇〇らしいか、〇〇らしくないか(〇〇=アイドルの方の芸名)」という基準で考えている。と話していました。自分が演じているので、自分です。〇〇という名前も自分ですが、まるで他人の事のように話していたのが印象的でした。自分の中の歌手としての部分にフォーカスし、それを表に出すためのスイッチとして、芸名を使っているのだと思いました。

茶名を使う時

私が茶名を使うときは以下の場合です。

  • 月謝袋の名前欄
  • お稽古での御礼状のやりとり
  • 裏千家からの連絡郵便物
  • セミナーなどに参加したときの名札や書類

当たり前ですが、茶道に関係することだけです。先生に年賀状などを出すときは宛先は茶名です。 家元から私の自宅に来る郵便物は、本名名前の脇に(宗◯)と茶名が書いてあります。茶名だけで郵便物は届くでしょうか。。名字が表札と同じなので、多分大丈夫。

余談ですが、自宅では旧姓でも郵便物が届くようにしています。名字が違うと、配達員の方もわからないので、郵便局から「居住確認のお伺い」という書類がポストに入りました。それに返答したので、現在は旧姓でも届けてくれます。ペンネームやハンドルネームでも「居住確認のお伺い」で記入すれば配達してくれます。

茶名を使わなくなる時

茶名を使わなくなるときは、裏千家を退会するときです。茶道をやらない(できない)時期はあるとしても、辞めるときはありません。ただ茶名は裏千家のお家元から「茶道指南の許し」なので、裏千家を退会した以降は使わないです。

昔、句会に参加していたとき、先生からいただいた俳号があります。その後子育てなどで句会に出席できなくなりました。いただいた俳号は、いまは使っていません。その句会に参加している間は句会以外でも使ってもいいけれど、句会に行かなくなってしまったら、いただいた俳号はお休みにすることが多いそうです。またその句会に出席できるようになったときに、いただいた俳号を再開することになります。


再開できるのもいつになるかわからないし、俳句を詠んでみたいと思う事もあるので、最近は自分で考えて俳号をもちたいなと思っています。
賞や本を出版するような人は、俳号は一つですよね。でも、楽しみ目的だったら、何個か俳号を気分や場所で使い分けてもいいかもしれませんね。


本名では不可能ですが、表現のスイッチとして茶名や俳号を使い分けることは、気分転換になります。茶道で茶名を取るまではかなり時間がかかりますが、俳号はすぐ自分でもつけられます。

「自分のどの部分にフォーカスして表現しようかな」「どういう俳号があるのかな」と思いめぐらすのも楽しいと思います。







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