先日この本を読みました。
プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる
読んでいる中、茶道との共通点を感じました。その共通点とは、
「工程を開示することにより、成果に他とは違う特別な価値を付加する。」
というものです。このことについて書きたいと思います。
上記の本には様々な面白いことがかいてありますが、その一部で茶道について昔から疑問に思っていたことのヒントが見つかったような気がしたので、そのことを書きたいと思います。
私が読んだところで茶道と共通点を感じたのは、
「今までの成果物の価値を上げてやり取りをする経済活動ではなく、プロセスそのもの、物や事ができる過程を見せることによって、価値を上げ経済活動を活性化させる。」
前者と後者で実際に出来上がったものは同じであっても、買う人にとってはそのものに対する親しみやそのものを作った会社や、人に対する特別な意味を見出しているため、後者がより選ばれるというもの。
これを読んだ時に、長年思ってきた疑問、
「なぜ、茶道はお茶を差し上げるためだけに、稽古をしなくてはいけないか?」
の答えの一つを見つけたように思えたからです。
ただ湯をわかして、茶を飲む事だった?
利休百首歌では、
「茶の湯とはただ湯をわかし 茶をたてて のむばかりなる事と知るべし」
とありますが、茶道のさまざまな稽古を見ていると、それだけではないようにも思えます。(この歌は、熟練した人に向けての肩の力を抜く意味での歌でもあると思いますが。。)
極端ですが、ただ湯をわかしてお茶をたてるのであれば、その場で水屋から、熱い湯でたてたお茶と季節の美味しいお菓子を出して、お客さんと亭主は交流をすればいいのでは?と思えなくもありません。
反対に、茶道は、亭主はその客のために道具を選び、時刻に合わせて湯を沸かし、お菓子も器に入れて客にとってもらいます。また、客も手ぶらではなく、自分が茶を入れられるような用意(帛紗など)も周到にしてきて、亭主に世話をかけないように気を使います。
美味しいお茶を水屋からだして、お菓子も銘々に取り分けておいたのを差し上げる。客に極力手間をかけさせない、きてもらった人には、至れり尽くせりでくつろいでもらう。というやり方もあると思います。
しかしながら茶道では、お茶を点てるための道具を水屋から出して置くところから、お茶を点てて、道具をしまうところまで、お客の前で見せています。なぜ、長時間茶室にいることになる工程を採用したのでしょうか?
茶道のお点前がお抹茶を作る工程
お茶を点てる、その状況はお茶を作る工程です。その工程を一緒に体験する。客に見てもらうことによって「お茶を飲む」ことを茶室に同席をしている人たちの中に「連帯感/親しみ」を作る目的があったんではないでしょうか。「客も作法を覚えていたほうがいい」のは、工程を共にする体験をより活かせるからだと思います。
だされたお茶を飲むだけなら、短時間ですみます。しかし、お茶のお点前(工程)を見るとなると長時間になります。その長い時間を誰でも過ごせるように様々な作法(ルール)ができたのではないでしょうか。
どんな環境で育った人であっても、お客の作法を覚えていれば亭主と同じ空間に居られる。そして、場を一緒に作り上げることにより連帯感や親しみが生まれてくる。というようなものだったんじゃないかなと思います。スポーツのルールを知って入れば誰でもプレーできる。しかし、練習をしないとルールも身につかないし、面白さがわからない。というように、
茶道も、茶室内の作法を知って入れば誰でも客や亭主になれる、しかし、練習をしないと作法も身につかないし、面白さがわからない。といったものなのかもしれません。
一期一会の意味も違って見える
茶道では、亭主は、ただお茶をだすだけではなく、客は、ただお茶を飲むだけではない。亭主の工程に積極的に関わり、その場を共に作り上げること。その亭主と客の相互作用により、お茶を飲むという体験が、他とは違う特別なものと印象付けられるのではないでしょうか。
亭主、客含め茶室の中にいる人には、それが求められているのだと思います。
一期一会とは、このメンバーで、この時に集まれるのは最後という意味をして覚えていました。しかし、この「工程に参加して一緒に作り上げ、特別な体験として記憶に残す」という目的が茶道にあると分かると、一期一会の意味は、その場で作り上げた雰囲気を味わうことは、一生に一度しかないという意味だったんじゃないかな、と思いなおしています。
なので、茶道を楽しむ為には、日々の稽古が必要なんですね(汗
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