人の行く裏に道あり花の山 いずれを行くも散らぬ間にいけ
千利休作と言われるこの和歌をご存知ですか?
先日読んでいた茶道とは全然関係のない本(資格試験の本だったかな)に「千利休」という文字を発見し、ちょっと気になったのでこの和歌について調べてみました。
「千利休の歌と言われている」と書かれていたので、もし千利休の言葉だったとしたら、として勝手に書きたいとおもいます。
- 株式投資の相場格言として有名
- ブランディング戦略の歌だったのでは?
株式投資の相場格言として有名
サイトで検索をするとこの言葉、相場の格言として有名と書かれています。
相場の格言として、この歌の前半の意味は、一言でいうと「逆張り」。相場トレンドとは、逆の動きをして利益を狙うことです。「皆が行っていない裏に、花がある」という意味を利用したものです。
その後に続く、「いずれを行くも散らぬ間に行け」というのはタイミングを見誤らずにスピード感を大切にしろ。と意味の説明を書いてあるサイトがほとんどでした。
利休は堺の商人なので商売のポイントを、花見にたとえて残したのかもしれません。
ブランディング戦略の歌だったのでは?
勝手に想像ですが、この言葉は彼の採用したブランディングの戦略だったのではと考えました。
ブランディングとは、いろいろな定義がありますが、私の理解では、
物や事に価値を与えて、他からの差別化をし、選ばれる存在になること。
ブランドディングを考えてこの言葉を読んでみたいと思います。「人の行く裏に道あり花の山」とあります。誰もまだ価値に気がついていない場所にこそ価値のあるものがある。と読めないでしょうか。
利休は「侘び茶」を確立したといわれています。
「侘び」とは
わび
《動詞「わ(侘)びる」の連用形から》
1 茶道・俳諧などにおける美的理念の一。簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣。中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視された。
weblio.jp
美とは思われていなかったところに、美を見出し、茶道に取り入れています。侘び茶の特徴的なことは。
- 楽茶碗のように漆黒でシンプルなお茶碗
- 日常使いをしている雑器を見立てて茶道具にした
これは、貴重な材質や、細かい彫刻、豪華に彩られた蒔絵が施された道具と相反するものです。私は、濃茶には「装飾のない茶碗を使う、黒い楽茶碗が最適」と茶道を習い始めたころから「決まって」いたので、驚きはありません。しかし、昔の人にとって「侘び茶」の出現が新しかったに思います。(本当のところは、その時代の人しか知りませんが。。)
利休はそれまで発見されていなかった「美」を道具に与えました。そして、その道具の価値を上げています。「人の行く裏に道あり花の山」は、「人の気がついていないことを発見することで新たな価値が作れる」とも考えられないでしょうか。
皆が欲しがる新たな価値を持たせられれば、それまで取引されていた価格よりも高額にできる。ブランド力です。「人の行く裏に道あり花の山」は、「利休ブランド」の価値と信用が作られた背景の言葉かもしれません。
そして後半の「いずれを行くも散らぬ間に行け」は、「ブランド力が落ちないうちに多くのことを確立をしていく必要がある」という、自分の影響力のあるうちに早く物事を進める。という意味なのかなと思いました。自分ブランドでプロデュースしたもの価値を、皆が認めているうちにブランドをより強いものにしていかなければならない。という意味だったのかなあ、と考えました。
まとめ
人の行く裏に道あり花の山 いずれを行くも散らぬ間にいけ
この言葉は相場格言とわれており、千利休の言葉と言われています。
株式投資の相場格言として理解をされているのは、こんな意味が多いです。
「逆張り(トレンドとは反対の行動をして利益を狙う)を考えて、タイミングを逃さないように」
私は、これが利休の言葉だったら、ブランディング戦略の言葉だったのではないかなと考えました。
「皆がいままで気がついていなかった美を見出しブランド化し、ブランド力があるうちに確固たるものとする」
といった感じでしょうか。
千利休の和歌か、本当にその時代の歌かもわかりませんが、一つの和歌からいろいろ考えを巡らせるのも面白いです。