知ってしまったら、知っていなかった状態に戻ることは難しい。

久しぶりにお茶のお稽古お家でやりました。今月(10月)緊急事態宣言が解除されたので、前回3月のお稽古から、6か月ぶりでした。家での稽古では、季節のお点前を取り入れた薄茶と濃茶と1回ずつです。

通常、薄茶はお客さん各自に一碗で、濃茶は一碗のお茶をお客さん数人でいただきます。ですが家でお点前をする場合は、人数が少ないので、濃茶でも一人一碗で飲んでいます。

将来コロナが収束し、再び「一碗のお茶を数人でいただく」ことができるのでしょうか。

数年前新型インフルエンザが流行った時に行った大寄せのお茶会では、濃茶でも一人一碗で出されていました。その後、新型インフルエンザが警戒されなくなってからは、同じお茶会で「一碗のお茶を数人でいただく」ことが再開されていました。

コロナが出現してから、私の通っているお稽古場でも、濃茶も一人一碗になりました。

私は、コロナが収束した後も「一碗のお茶を数人でいただく」場合と「一人一碗」が混在して、「一人一碗」のほうが主流になるのではないかと思っています。

知らなかったほうが、濃茶を楽しめたかも?

テレビ番組で、会食や、大声でおしゃべりしている時などで飛沫がどのように飛ぶか、スーパーコンピュータで、計算していました。それを見て「大皿料理で食べてたのって、こういう状況だったんだ」「飛沫って意外と遠くまで飛ぶんだ」と知ってしまいました。飛沫が想像よりも飛んでいること、飛沫にはウイルスが混ざっていることもある。という知識を得てしまいました。

知らなかった時には、大声で友達と話したりすることが楽しいですし、大皿料理ドーンで出て来ると見栄えがしていいね!と、思っていました。しかし、知ってしまった後では、顔が近くにある時の大声でのおしゃべりや、レストランなどで、テーブルの真ん中に大皿料理は、素直に楽しめなくなりました。

なので、茶道の濃茶を「一碗のお茶を数人でいただく」「3,4人で同じお茶碗で同じ茶を飲む」というのも、よくよく考えると、とても複雑な気持ちです。

コロナの今の状況が終わったとしても、「ウイルスが感染る場合がある」と、すでに知ってしまったので、以前と同じようには戻れないのではないかと考えています。
私はそこまで潔癖症ではないですが、今回コロナの件で、色々知ってしまったこともあり、ちょっと気にすることが増えました。なので、コロナが終わった後でも、知ってしまった事を心に置きながら、本当に以前のように楽しめる機会はあるのでしょうか。

「一碗のお茶を数人でいただく」事の効能は、場の連帯感を高めたりできますし、気持ちの上ではいい事だと思います。しかし健康を害してしまうんだったら、多くの人が安心してお茶を楽しめるように、考えを改めていくことになるでしょう。

私は、「一碗のお茶を数人でいただく」機会は、どんどん減ってくるのではないかなと思います。仮に以前のように濃茶の回し飲みがもうなくなったとしても、それも時代の移り変わりとして受け止めて、10年ぐらい経った後、「あの頃はあまり気にせずみんなでひとつの茶碗で回し飲みしてたよね〜」と笑って話すようなことになっているのかな、とちょっと思っています。

濃茶の「一碗のお茶を数人でいただく」ことも経験し、「一人一碗」もこれから経験させてもらえる、ちょうど両方の時代で茶道ができることは、いい体験だなと思っています。







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Ria
フリーランスでデザインの仕事をしつつ、週末はお茶のお稽古や、お茶を楽しむ会を実家のお茶室でひっそり開いています。グラフィックデザインと茶道を往来する中で、茶道の知識がデザインに役立ったりしています。
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