ザ・フィンランドデザイン展を見て利休七則を思い出しました。

先日、渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム「ザ・フィンランドデザイン展 自然が宿るライフスタイル」を見てきました。その中で、茶道との共通点を私は感じました。

日本の茶道と、フィンランドの商業デザインに共通していると思ったのは、「自然への観察力」です。その観察力の出方は下記のようかなとおもいます。

お茶は、自然に見せるために、観察から来た作為を見せないようにする。
花瓶は、観察から来た作為で表現し、その中に自然を見せるようにする。

と、ちょっと考えましたので、書きたいと思います。

茶道の自然への観察力

お茶でお花を花入に入れるときによく言われるのが、「花は野にあるように」。これは、利休七則(りきゅうしちそく)に書いてある7つの中の一つです。

この「花は野にあるように」は「野にあるように自然のまま」という意味なのでしょうか?本当に自然のままに入れるとすると。。
例えば、庭にその時期に咲いている草花をひとつかみ取って、ハサミで根元を切り取り、それをそのまま花入れに入れたとします。自然にあるがままを切り取って、花入にいれました。しかし、それでは「野にあるように」にはなりません。自然のままとは、野にあったような印象になるようにする。そうなるように花を入れる人の演出が必要です。演出により、人の作為が加わりますが、一層自然な印象に近づけるという意味です。
その演出とは、人が作りだす創造的な美しさではありません。草花や木といった既に自然界に存在している物で、よりその植物らしく、いきいきとするように、そのものらしさを最大限に生かす方法を採用します。その方法を、茶室の床の間に持って来て、その演出により、季節を感じてもらう。というものではないかと思います。

野にあるように入れるのは、野にあったような印象になるように演出を加える。と言い換えられ、その作為には、日頃の観察眼が必要だとおもいます。どういう草花の組み合わせが、自分の思い描いている野の季節感を表現できるのか。それを日々の生活の中で気にしていくと、作為もより洗練され、作為も感じられない「野にあるような草花」の印象になるでしょう。

フィンランド商業デザインの自然への観察力

この展覧会の冒頭の展示物に、「サヴォイ」花瓶アルヴァ・アアルト作がありました。

(こういう花瓶です。アマゾンでも販売されています。)

この花瓶、現在販売されているものもお店で見たことがありますが、その初期のものが展示されていました。1930年代に作られたものでした。展示してある花瓶のガラスの表面が特徴的でした。フラットなガラス面ではなく、手びねりで成形をした焼き物のような微妙に凹凸のある表面になっていました。この花瓶、初期のころは、吹きガラスの技術で木製の型で制作していたようです。現在は、吹きガラスの技術で鉄製の型で制作されているとのことです。この微妙は凹凸は、きっと木製の型によるテクスチャなんですね。


うねうねと静かに波打っている表面のテクスチャと、オーロラのような波打ちが、波、水面、滝、氷を彷彿させるフォルムだなと思いました。これに花を入れると、自然に出来た氷の器に入れた花のような、まるで湖のほとりで咲いている花を、再現しているような感じになるのではないかなと思いました。ガラスという冷たい無機質のものが、形の変わる有機的なものにも見えてきます。
この花瓶を見ていて、「この表現になるには、自然への観察が鋭いんだな。」と感じました。
美しいものが作れるデザイナーは、観察眼が素晴しいんなんだなーと。実感しました。

特に北欧デザイン好きではなかったですが、この展示を見て、この花瓶はほしいなとおもいました。


色使いなど、好みのものがたくさんあり、フィンランドデザインが良く知れる展示でした。もう一回いきたいな〜







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Ria
フリーランスでデザインの仕事をしつつ、週末はお茶のお稽古や、お茶を楽しむ会を実家のお茶室でひっそり開いています。グラフィックデザインと茶道を往来する中で、茶道の知識がデザインに役立ったりしています。
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