雲錦(うんきん)文様というのがあります。これは桜と紅葉が同一画面に合わせて描かれた模様のことです。棗、お茶碗など様々な物に描かれてる、ポピュラーなモチーフです。
桜は春の花、紅葉は秋の紅葉、を表していて春と秋両方の時期に取り合わせられる文様です。
先日久しぶりに参加した、お稽古で使わせていただきました。そのときは雲錦蒔絵のある棗でした。春と秋の時期に使える棗は「春秋棗」とも呼ばれます。
「桜と紅葉がなぜ、雲錦なのか。」知っていると、よりお茶が面白くなる言葉だとおもったので、説明したいと思います。
雲錦が描いてある鉢
色絵桜紅葉文大鉢(雲錦手)
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/kyohaku/G%E7%94%B2217?locale=ja
が京都国立博物館に所蔵されています。このホームページ上、鉢の説明に、
「吉野山の桜は雲かとぞ見え、竜田川の紅葉は錦の如し」の意を踏まえ、桜と紅葉を描いた色絵を雲錦手と呼んでいる
とありました。
「吉野山の桜は雲かとぞ見え」
吉野山は奈良県にある山です。1000年以上前から御神木として、シロヤマザクラが植えられています。春になると、山のところどころにシロヤマザクラが咲き、その様子が雲のように見えるという表現です。
古今和歌集でも、吉野の桜が詠まれています。
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのみぞ あやまたれける 紀友則 (古今和歌集)
私は吉野の桜は見た事がないですが、ソメイヨシノより白い色をしているので、山にたくさん咲いていれば、もくもくとして、山に雲がかかったように見えるんでしょうね。
桜雲(おううん)という言葉があるように、遠くから満開の桜を見ると、雲のように見えるのは、今も昔も共通した感覚なんですね。
「竜田川の紅葉は錦の如し」
竜田川は百人一首にも読まれている昔からの紅葉の名所、奈良県竜田山のほとりを流れる川の名前です。もみじの名所なので、「竜(龍)田川」と聞くと紅葉を思い浮かべます。
ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがわ) から紅(くれない)に 水くくるとは 在原業平朝臣(百人一首)
他の句でも、紅葉が読まれていて、色の美しさが、錦に例えられています。鮮やかな赤、橙、黄色は錦を連想させると、昔は表現されました。
この度は 幣(ぬさ)もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに 菅原道真(百人一首)
昔は、鮮やかな色を持っているものは、錦くらいだったのでしょう。鮮やかな塗料もなく、美しい色を収めている写真や動画もない時代、紅葉は今の私たちよりも、より感動をもって愛でられていたのだと思います。
桜と紅葉の描かれたデザインを、「桜紅葉文様」と言わずに「雲錦」と呼ぶところが、とてもいいなと思いました。「桜」「紅葉」と言われるよりも、「雲」「錦」のほうが、風景が思い浮かびますよね。茶杓の銘を知る時も、「風景が思い描けるような銘」が広がりがあって、私はいいなと思うので、それと同じような感じですね。
いろいろなことが知れるから、お稽古に参加するの楽しいです。
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