茶道が、他の「道」が付く習い事と違うところ

最近、字が上手くなりたいと思って、書道を習おうかと考えています。書道には「道」がついています。
そのとき「道」がついている習い事は「茶道」の他にどれくらいあるだろうかと思いました。
書道、華道、香道、弓道、剣道、柔道、合気道などなど

これらの道のつく習い事と、茶道の違いはなんだろうと考えました。それを考えることで私なりの茶道の特徴が見つかりました。

茶道は「成果物が無い」
茶道は「誰かの記憶に残すことが目的」

の2つです。このことについて書きたいと思います。

茶道は「成果物が無い」

「成果物が無い」と言っても、もちろんお稽古を続けているともちろん「成果」はあります。

  • 初心者の時よりは、帛紗の捌き方が上手になる
  • お点前の順番を間違えなくなる
  • いろいろな道具を扱えるようになる

これらはお稽古で頑張った「成果」です。
しかし実際に触ることのできる「物」や「外からの評価」は存在しません。

他の道がつく習い事はどうででしょうか?

習おうと思っている書道は、作品ができて、作品展示会に出したり、上手い人は賞をもらいます。
華道は、家に綺麗な花が飾れる、展覧会など発表会で皆に見てもらう、賞を取る機会もあります。
剣道や柔道などの武道系は、試合があり、優勝します。柔道だったらオリンピックで金メダルを取る機会もできます。

もちろん賞や優勝すること、他人からの高い評価を得ることだけが、お稽古事を続けている目標ではありません。でも茶道以外の習い事は、望めば実感できる「成果物」があります。

それで、茶道の成果物はなんだろうと思いました。免状がもらえる?でも免状は許状と言って、なにかができるようになったからもらえる免許ではありません。お点前ができる許しを得る証です。なので、それまでのお稽古の積み重ねで次の段階の許しが出たと思えば成果物なのかもしれませんが。。

それか、「有名な場所で茶会を開けるようになった」とか、でしょうか。でも経歴書に「どこどこで茶会をした」とかはあまり見たことがありません。一般的な経歴書のように、〇〇展覧会で○賞を取ったとかだったら見かけたことがありますが、それほどわかりやすい経歴ではないでしょう。お茶をやっている人にとっては「すごい!」とわかっても一般的には「金賞受賞」とか「優勝」とかのほうが外からの評価として、成果があったと思われます。

茶道は「誰かの記憶に残すのが目的」

成果物もなく、経歴書にかける経歴として残るものがない。それでもなんで私は、お茶をやっているんでしょう(笑)。最終目的は何でしょう。
茶道をやっていて得られる自分なりの「成果物」って何だろうと考えました。

それは、

茶会に集った人の記憶が「成果物」。その場に居て「楽しかったな〜」「素晴らしかったな〜」と後々に思い出に浸れる記憶。それが私にとっての茶道から得られる成果物だと思います。

そんな誰かの記憶に残せる茶会を開けるようになるために、お稽古や茶道について考えたりしているんだと再確認しました。

茶道のお稽古はディレクター修行?

誰かの記憶に残る茶会を演出する」ことは、ディレクターの仕事に近いと感じます。私は茶道のお稽古はディレクターの修行だと感じます。ディレクターなのか プロデューサーなのか言葉の選択に迷いましたが「お茶会全体の演出を作り上げる」という意味でディレクターという言葉を使っています。

その会の趣向にそった演出:ディレクションをします。なので、ディレクターの仕事に近いかと思いました。ディレクションをするためには、お点前の種類、お道具、お菓子、お花、などなど趣向を表現するために様々な知識が必要になります。
そのために、点前を覚えるだけでなく、日本の美術色々なもの知識が必要とされます。知っているものが広いと、ディレクションの幅も広がります。なので、勉強せざるを得ない。

学生の時、広告の授業で先生がアートディレクターになるために何人のイラストレーターとフォトグラファーとデザインナー、コピーライターを知っているべきかという話をしてくれました。詳細な何人知っておくべきという人数は忘れましたが、「そんなに多くの選択肢を知っていなくてはプロにはなれないんだ」と思ったのを思い出しました。

これを、茶道の修行にあてはめると、書、歴史、野草、食材、古典文学、道具、茶人などのカテゴリで、どれだけ多くの種類を知っているかで趣向の表現の幅が広がる、ということと同じなのではないでしょうか。

よくお茶は総合芸術と言われますが、ほんとうに様々な日本の美術品がつかわれています。そのため勉強は終わりません。一生かかってもきっと終わらない。

茶会を開くとしても失敗したくないので、完璧になってから茶会をしたい。と私はおもってしまいます。

しかし、ディレクションの仕事に置き換えてみると、完璧にすべてを覚えてからデザインやアートディレクションの仕事を始めたわけではありません。完璧を目指しながら、その時その時、発注してくれたお客さんとお互いにとってプラスで喜ばれる成果物ができると思えた時点で、デザイナーやディレクターとして仕事を受ければいいのではないでしょうか。その時点での最高ができればいいのだと思います。

そう考えると、茶会も「すべての事柄を頭に入れてからじゃないとできない!」と思わなくてもいいのではないでしょうか。


全て完璧なものを作るのが目的ではなく、誰かの記憶に残る茶会を演出することが目的なんですから。

と考えるようになりました。







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